私が知っている、94歳位で亡くなったアイヌ民族のおばあちゃんが、生前、よく私に言いました。「最近の大人や子どもは、人間がこの世に生まれてきたと
きに何と言って生まれてきたか、みんな忘れてしまっている。」と…。彼女は助産婦さんをやっていました。
「私は350人も子ども取り上げてきたけれども、どんな子どもも、同じことを言って生まれてくるんだよ。アイヌの子どももシャモ(アイヌ語で「日本
人」)の子どもも、ロシア人の子どもも、貧乏人も金持ちも、たとえ、重い障害を持って、たった10分しか生きることができなかった子どもでも、お母さんの
おなかから出てきたときにはこうやって生まれてくるんだよ。『うれしい、うれしい、この世に生まれて本当にうれしい。』って、歓喜の声を上げて生まれてく
るんだよ。たった1人として『いやだ、いやだ。』と言って生まれてくる子どもはいない。それは人間の子どもだけではないよ。生きるものはみんなそうなんだ
よ。発展途上国の貧しい子どもたちだって、みんなそうだろうと思う。にもかかわらず、なぜ1日当たり4万人の子どもが死んでしまうのだろう。たった10分
しか生きることができなかった子どもも、全身の力を奮って『うれしい。』と言って生まれてくるんだよ。」
アイヌのおばあさんは、そう言われました。
人間というのは、場所と時間を選んで生まれることができないわけなのですが、生まれてきたからには、時間の問題ではないのです。肩書の問題ではないので
す。それぞれが、「自分が本当にうれしい。」と思った人生をつくり上げていくことに、私たちはみんなで協力していく。これも一番大事な原点だと思います。
そのためには「意味ある他者」が必要だ、とレジメに書いているわけです。
つまり、「自分が生きることの意味を発見していくためには、『意味ある他者』が必要だ。」ということです。これを別の言葉で言いますと、先ほどのごあい
さつの中にもありましたが、「私を必要としてくれる人」です。「私をかけがえのない存在として認めてくれる人」です。「私を待っていてくれる人」です。
「心待ちにしてくれている人」です。「私を頼りにしてくれる人」です。
— 講演:文部科学省 (via nakano) (via hilcohilco) (via natsumiorz) (via uessai-text) (via oharico) (via shinoddddd) (via k32ru) (via highlandvalley) (via luciacafe) (via s-hsmt) (via edieelee) (via zaiga) (via ipodstyle) (via mmmmmmmmmy) (via chiyozi) (via yellowblog)